<ちょっと敷居が高すぎたわね…>
バレンタイン前日
CM撮影が終わり色んなチャンネルで自分の顔が合間に流れるのは見ていて恥ずかしいものだった。
今が最も多く流れる時だろう。
駅のポスターにさえ自分の顔が載っていたりするので律子は何処に居ても落ち着かない気持ちでいた。
バレンタイン用のチョコレートの材料を買いに律子は近くのデパートに来ていた。
1階がスーパーになっているここなら大抵の材料は揃うはずだった。
律子「湯せんとかはあるから、チョコだけあればいいのかしら?」
とりあえずチョコレートコーナーを目指すと探すまでも無くドンと特設コーナーが設置されていた。
そこにはでかでかと律子のポスターが貼り付けてあった。
律子「やっば…」
慌てて楕円形のサングラスを押し上げて帽子を目深に被る。
ポスターの中の自分が頬を赤らめてチョコを手渡そうとしている。
嬉しさと同時に何処か複雑な心境でもあった。
律子「今日売れなきゃいつ売れるんだって感じねぇ…」
律子以外にも数名の客がそこでチョコレートを選んでいる。
律子「チョコってどれが良いのかしら…」
とりあえず甘すぎなさそうなM社のブラックのチョコレートを1枚、籠に放り込む。
律子「ホワイトチョコで字とか絵とか書けるかな?」
そう思うとやはり1枚籠にいれた。
律子「練習はこれでやるとして、本番用のチョコはと。…値段がピンきりね」
うーんと唸っていると小さく設置されたコーナーが目に付いた。
律子「なになに?チョコレートには気分を落ち着かせる成分が(省略)っておりますっと」
一つを手にとって見るとカカオの成分の割合なのか表に大きく99%と書いてあった。
成分表を見るとやはりカカオの割合で気分を落ち着かせる成分の量が変わってきているのが分かった。
律子「多い方がいいのよね?でも、なんでここのコーナーこんなに小さいのかしら」
律子は不思議に思ったが99%と書かれたチョコを3枚籠に入れるとトッピングを幾つか放り込んでレジに向かって歩き出した。
律子「ストレス解消になるチョコなんて一石二鳥じゃない」
レジで会計を済ませると今度は2回に上がって化粧品売場を目指す。
その一角に千早のポスターが貼られていた。
律子「この千早、綺麗ねぇ」
化粧品のコーナーを色々見ながら歩いていると柱の周りにショーケースが出来ていた。
不思議に思い近寄ってみると新しく香水の取り扱いを始めたようでメンズの香水も少量ながら展示されていた。
律子「香水かぁ…」
ふとプロデューサーの顔が頭を過ぎる。
いつも感じるプロデューサーの涼やかな香りが思い出された。
律子「ここにもあるのかしら…結構ブランドで固めてるみたいだし」
ショーケースを一つ一つ見て回る。
サンプルを香っては次に移動していると不意に美希の顔が飛び込んできた。
律子「…化粧品売場にはティアラ、か」
ポスターの美希は嬉しそうに瞳を細めていた。
メンズのコーナーで上から順に香っていくとアルマーニのビンが目に付いた。
サンプルを香ってみる。
律子「ん…?」
確認の為にもう1回香ってみる。
海の香りにも似ていてマスカットの柑橘系の香りやミントの香りが合わさって爽やかな感じのする香り。
律子「これかぁ…<アクア ディ ジオ>?」
ビンを持ち上げてみる。
薄い水色の液体が爽やかな印象を強くした。
律子「ふ〜ん」
???「バレンタインのプレゼントですか?」
律子「え?」
不意に女性に声を掛けられ慌ててビンを戻す。
女性「ジオでしたらプレゼントにピッタリですし只今キャンペーン中ですので大変お買い得ですよ」
どうやら販売員のようだった。
律子「へぇ、どんなキャンペーンなんですか?」
女性販売員「違う種類の香水を二つ同時にご購入頂きますと表示価格より15%お値引きさせて頂いております」
律子「15%…」
律子の頭が猛スピードで数字を割り出す。
律子「んん、お得だわ…今なら…ん〜〜」
腕を組んで少し考える。
律子「じゃあこれと、これ下さい」
律子は先程手に持っていた<アクアディジオ>ともう一本隣にあった青いビンの奴を指差した。
女性販売員「ありがとうございました。またお越しくださいませ」
律子「買った後に気付くものだけど…思わぬ出費だわ…」
文句を言いながらも律子の心は弾んでいた。
家に帰ると早速香水の包みを開ける。
ベッドの上でプレゼント用に包装してあるものを綺麗に剥がして<アクアディジオ>を取り出すとシュッと一吹きしてみる。
涼しげな香りが部屋を包み込む。
律子「いい匂い」
プロデューサーの香りで自分の部屋が包まれていた。
そう思うと恥ずかしくもあり嬉しくもあった。
プロデューサーがいつも傍に居てくれているような錯覚さえ覚える。
半ば条件反射になってしまっているのかも知れないと律子はクスッと笑った。
好きな人の香りを傍に置いておく位なら罰は当たらないだろう。
キュッと胸の奥が痛むのを感じるとフルフルと首を横に振る。
律子「だめよ、律子…」
そう自分に言い聞かせて気持ちをおさめると律子は買ってきたチョコを持ってキッチンへと向かう。
練習用に買ってきたブラックのチョコを湯せんでとかして型にはめる。
時折固まったかどうか確かめる度にチョコが手についてしまいそれを舐めていたら口の中はすっかり甘くなっていた。
律子「どれどれ?」
数十分、冷蔵庫に入れておいたチョコレートを取り出してみるとすっかり固形に戻っていた。
パキッと割って一口齧ってみる。
律子「普通に作るのは意外と簡単ね」
モグモグと出来上がったチョコを食べながら律子は呟いた。
バレンタイン用のチョコを使ったお菓子の本をペラペラと捲る。
普通にチョコを作る分には型にはめて流し込めばそれだけで出来てしまう。
もう一工夫した物にチャレンジしたくなってきた。
トリュフ
一口大に丸めたチョコレートに可愛くトッピングがされている写真が飛び込んできた。
その見た目の可愛さから律子は直感的に作ろうと決心した。
まずカカオ99%のチョコを湯せんで溶かし一つの型に流し込む。
余ったチョコはトリュフ用に丸めなければならないので氷を張った水に湯せんを漬けてかき混ぜていると徐々に固まってきた。
固まり切らない内に湯せんを取り出し今度は両手を氷水に漬ける。
律子「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!!!!!いたたたたたたたたた!」
冷え切った水の中に手を浸すとあっという間に手の感覚が無くなってくる。
手が冷え切った所でチョコレートを丸めていく。
そして出来上がったものは案の定、大小様々で中には丸にさえなってない物もあった。
律子「ちょっと敷居が高すぎたわね…」
痛い思いをしながらも律子の気分は何処か晴れやかだった。
好きな人の為に何かを作る。
その人の喜ぶ顔が見てみたい。
そんな思いで作る事は今までの人生の中には殆ど無かった。
トリュフの方にトッピングをまぶして冷蔵庫に入れる。
トリュフは後は固まりさえすれば完成だった。
次いで型にはまったチョコに溶かしたホワイトチョコで字を書いていく。
細めの漏斗に流し込んで<義理>と大きく書いた。
そして満足そうに頷く。
後はどれも固まるのを待つだけだった。
固まった後の入れ物を用意して律子は香水を一吹きしてベッドに潜り込んだ。